こんにちは、しーちゃんです😊 現役看護師として日々臨床で働きながら、このブログでは看護・医療の知識をわかりやすくお伝えしています。今回は朝ドラ「風、薫る」の第1話「双六」・第1週「翼と刀」をナース目線で深掘りします!
この記事を読むとわかること
- 第1話「双六」・第1週「翼と刀」のあらすじ
- コレラ(コロリ)とは何か――明治時代を震撼させた感染症の正体
- 避病院(隔離施設)の歴史と現代の隔離医療
- 父の死から学ぶ「看取り」とグリーフケアの本質
- 大山捨松が体現した「学ぶことで世界を変える」という生き方
- 「奥様ゴール」のすごろくが象徴する明治の女性観と看護師誕生の背景
【結論】第1話が伝えるメッセージ
父・信右衛門の言葉「学ぶことは、時に世を渡る翼となり、身を守る刀になる」。これはドラマタイトル「翼と刀」の原点であり、看護師という職業の本質でもあります。知識は人を救う。それをコレラという感染症の猛威の中で、17歳のりんが全身で学んでいく物語の始まりです。
それでは一緒に第1話を振り返りましょう!
📺 第1章:第1話「双六」・第1週「翼と刀」あらすじ
明治15年(1882年)、栃木県那須地方の農村。17歳の一ノ瀬りん(見上愛)と妹の安(早坂美海)が「江戸娘一代双六」に興じている場面から物語は始まります。
■ すごろくの「あがり」は「奥様」
二人が遊ぶすごろくのゴール(あがり)は「奥様」——良縁を結んで上流夫人になること。まさに明治時代の「女性の理想の人生」が一枚のすごろくに凝縮されています。母・美津(水野美紀)は「一ノ瀬家は代々筆頭家老の家柄」と誇りを持ち、娘たちに薙刀の稽古を命じます。

「奥様がゴール」のすごろくって、今の感覚からすると信じられませんよね。でも明治時代の女性にとって、これが社会に認められた「幸せな人生」だったんです。りんはそのすごろくの枠を最終的に飛び出していくわけですが……第1話はまだその入口の場面です。
■ 東京のもう一人のヒロイン・直美
一方、東京ではマッチ工場で日当わずか3銭で働く孤児の大家直美(上坂樹里)が登場します。女郎の母に生まれてすぐ捨てられ、キリスト教の牧師に引き取られて育った直美は、理不尽な差別にさらされながらも「アメリカへ渡りたい」という夢を抱いています。りんとは真逆の境遇に生まれた二人が、やがて同じ道を歩むことになります。
■ コレラの影と父の死
隣村で致死率7割と恐れられるコレラ(「コロリ」)が発生したとの知らせが届きます。第4話「優しい風」では父・信右衛門(北村一輝)がコレラに感染。家族への感染を防ぐために自ら納屋に籠もった父に、りんは外から紙鶴を折りながら励まし歌を歌い続けました。
💬 父・信右衛門の遺言
「生きろ。りん。お前はきっと、優しい風をおこせる」
💬 ドラマタイトルの由来となった父の教え
「学ぶことは、時に世を渡る翼となり、身を守る刀になる。己を助けるのは、己の頭と心、そして体だけだ」

「優しい風をおこせる」……すごく美しい言葉ですね。りんちゃんが看護師を目指す理由って、お父さんの死がきっかけなんですか?

そうなんです。コレラで大切な人を失い、「もし医療の知識があれば」という思いがりんの原点になっていくんですよね。看護師って、そういう「誰かへの思い」から動き出す人がすごく多いんです。
| 人物 | キャスト | 役割 |
|---|---|---|
| 一ノ瀬りん | 見上愛 | 主人公・那須の元家老の娘・17歳 |
| 大家直美 | 上坂樹里 | W主人公・東京の孤児・マッチ工場勤め |
| 一ノ瀬信右衛門 | 北村一輝 | りんの父・元筆頭家老 |
| 一ノ瀬美津 | 水野美紀 | りんの母・薙刀の師範 |
| 一ノ瀬安 | 早坂美海 | りんの妹・縁談に積極的 |
| 竹内虎太郎 | 小林虎之介 | りんの幼馴染 |
| 大山捨松 | 多部未華子 | 実在人物・女子留学生・りんの憧れ |
🦠 第2章:コレラ(コロリ)とは?――明治を震撼させた感染症
第1話から物語を大きく動かす「コレラ」。当時は「コロリ」とも呼ばれ、かかればあっという間に死に至る(コロリと死ぬ)ことからその名がついたとも言われています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 原因菌 | Vibrio cholerae(コレラ菌) |
| 感染経路 | 汚染水・食物からの経口感染 |
| 潜伏期間 | 数時間〜5日(通常2〜3日) |
| 主な症状 | 米のとぎ汁様の激しい水様下痢・嘔吐・脱水・筋肉痙攣 |
| 致死率(治療なし) | 最大25〜50%。明治時代は衛生環境が悪く7割超の地域も |
| 現代の致死率 | 適切な治療で1%未満 |
| 治療 | 経口・静脈からの水分・電解質補充が最重要。抗菌薬(テトラサイクリン系) |
■ 明治時代のコレラ大流行
| 年 | 流行の規模 | 死者数 |
|---|---|---|
| 1877年(明治10年) | 第1次大流行 | 約1万3千人 |
| 1879年(明治12年) | 大規模流行 | 約10万5千人 |
| 1882年(明治15年) | ドラマの舞台の年 | 約3万3千人 |
| 1886年(明治19年) | 最大規模の流行 | 約10万8千人 |

明治のコレラ対策って、今の私たちが見ると「それで本当に効いたの?」と思うものが多いんですよね。でも当時の人々は持てる知識と資源で必死に戦っていた。その積み重ねが現代の感染対策につながっているんです。

お父さんがコレラにかかって自分から納屋に籠もったのは、家族への感染を防ぐためだったんですね。今で言う「自己隔離」……すごく辛い決断だったと思います。
■ コレラの現代の治療と看護
- 経口補水療法(ORT):WHO推奨の経口補水塩(ORS)溶液を継続投与
- 静脈内輸液(IVF):重症脱水には乳酸リンゲル液などを急速投与
- 抗菌薬投与:テトラサイクリン・ドキシサイクリンなどで菌の排出期間を短縮
- 電解質補正:大量の下痢によるNa・K・Clの喪失を補う
【看護のポイント】感染性胃腸炎患者のケア
- 排泄物の適切な処理(接触感染予防策の実施)
- 手洗いの徹底(石けん手洗いが原則)
- 輸液ラインの管理と尿量・バイタルサインの定期観察
- 患者・家族への食事・水分摂取の指導
- 隔離対策(個室管理またはコホート管理)
🏥 第3章:避病院(隔離病棟)――感染者を「分ける」という発想の歴史
ドラマではコレラ感染者が警察官に先導されながら「避病院」に連れていかれる場面が描かれています。これがいつ・なぜ始まったのかを知ることは、感染看護の根本を理解することにつながります。
■ 避病院とは
避病院(ひびょういん)とは、明治時代に設置されたコレラ・天然痘などの法定伝染病患者を強制的に隔離するための施設です。1880年(明治13年)の「伝染病予防規則」に基づき全国に設置されました。
当時の避病院は「死にに行く場所」という恐怖の象徴でした。専門の医療スタッフも少なく、家族とも会えないまま亡くなることも多く、患者・家族ともに入所を強く恐れていました。

「避病院に連れていかれる=生きて帰れない」という認識が当時はあったんです。だからりんのお父さんが「自分から納屋に籠もる」という選択をしたことは、家族を守ろうとする必死の愛情の表れだったと思います。
■ 「隔離」の歴史的変遷
| 時代 | 隔離の考え方 | 具体的な施策 |
|---|---|---|
| 中世ヨーロッパ | ペスト流行時の隔離 | 港での船舶40日間停泊(quarantineの語源) |
| 明治時代(日本) | 伝染病患者の強制隔離 | 避病院への強制収容・警察が執行 |
| 1950〜70年代 | 結核・ハンセン病の隔離政策 | サナトリウム・らい療養所(後に人権問題として批判) |
| 現代 | 根拠に基づく感染予防策 | 標準予防策+感染経路別予防策(接触・飛沫・空気) |
■ 現代の感染経路別予防策
| 感染経路 | 対象疾患の例 | 主な予防策 |
|---|---|---|
| 接触感染 | ノロウイルス・MRSAなど | 手袋・ガウン着用、個室管理 |
| 飛沫感染 | インフルエンザ・コロナなど | サージカルマスク、患者1m以上の距離 |
| 空気感染 | 結核・麻疹・水痘 | N95マスク、陰圧個室管理 |
コレラは接触感染(経口感染)が主経路のため、現代であれば接触感染予防策(手袋・ガウン・手指衛生の徹底)と排泄物の適切な処理が最重要です。
🌸 第4章:大山捨松が体現した「学ぶことで世界を変える」
第1週には大山捨松(多部未華子)が登場し、りんにとって「憧れの存在」として描かれています。
■ 大山捨松とは
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生没年 | 1860〜1919年(明治・大正時代) |
| 出身 | 会津藩(現・福島県) |
| 留学先 | アメリカ・コネチカット州(1871〜1882年・約11年間) |
| 学んだこと | 看護学・英語・音楽・社交術 |
| 帰国後の活動 | 大山巌(陸軍元帥)と結婚後、日本赤十字社の看護活動を支援 |
| 歴史的意義 | 日本で初めて正式な看護教育を受けた女性の一人 |
11年という長期留学でアメリカの看護を学んで帰国した捨松は、明治の日本に「専門的な知識を持つ看護師」という概念をもたらした先駆者です。

捨松さんは6歳のときに「岩倉使節団」と共にアメリカへ渡った女子留学生なんです。帰国後は流暢な英語と西洋の礼儀作法で「鹿鳴館の花」と呼ばれました。でも彼女の本質は、日本の医療・看護を変えようとした情熱だったと思います。

6歳でアメリカ留学……!想像を絶する環境ですね。それだけの経験があったから「日本の看護を変えなければ」という強い使命感が生まれたんでしょうね。
■ りんが捨松に憧れる意味
「奥様がゴール」のすごろくで育ったりんにとって、大山捨松の存在は「女性が学び、世界で活躍できる」という可能性の象徴でした。りんが看護という道を選ぶ原動力のひとつです。
【現代へのつながり】看護師という専門職の誕生
大山捨松をはじめとする先人たちが「専門知識を持つ看護師」という概念を日本に根付かせた結果、現在では約120万人の看護師が日本の医療を支えています。「学ぶことで人を救う」というメッセージは、令和の今も変わらず看護師の根幹にあります。
💔 第5章:父の死から学ぶ「看取り」とグリーフケア
第4話「優しい風」でりんの父・信右衛門がコレラで亡くなります。家族への感染を防ぐために自ら納屋に籠もり、りんは外から紙鶴を折りながら歌い続ける——この場面は、現代看護の「看取り」と「グリーフケア」の本質を考えさせてくれます。
■ 看取りとは
看取り(みとり)とは、治癒が望めない患者さんの最期の時期に、身体的・精神的・社会的な苦痛を和らげながら、その人らしい死を支援することです。現代では「看取り看護」「エンドオブライフケア」とも呼ばれます。
- 身体的ケア:疼痛管理・口腔ケア・体位変換・皮膚ケア
- 精神的ケア:そばにいること・傾聴・言葉かけ・希望をかなえる
- スピリチュアルケア:人生の意味・死への恐れへの寄り添い
- 家族ケア:家族の不安・悲嘆への支援(グリーフケア)

りんが納屋の外で紙鶴を折りながら歌い続けた場面、私は看護師として「あれが看取りの本質だ」と思いました。直接触れることはできなくても、そばにいる。存在を伝え続ける。それだけで人はひとりじゃないと感じられるんです。
■ グリーフケアとは
グリーフ(Grief)とは「悲嘆」のことです。グリーフケアは、大切な人を失った遺族や患者さんの悲しみのプロセスを支援することを指します。
精神科医エリザベス・キューブラー=ロスが提唱した「悲嘆の5段階モデル」は現在も広く参照されています。
| 段階 | 反応 | りんの場合に当てはめると |
|---|---|---|
| ①否認 | 「嘘だ、そんなはずない」 | 父が納屋に籠もった直後の混乱 |
| ②怒り | 「なぜ私の家族が」という怒り | コレラへの怒り・無力感 |
| ③取引 | 「看病さえすれば助かるはず」 | 紙鶴を折り続けながら奇跡を祈る |
| ④抑うつ | 深い悲しみ・無気力 | 父の死後の喪失感 |
| ⑤受容 | 死という現実を受け入れる | 父の遺言「優しい風をおこせ」を心に刻む |
看護師はこのプロセスのどの段階にいる遺族に対しても、「評価せず、ただそばにいる」というグリーフケアの基本姿勢が求められます。

グリーフケアって、何か特別なことをするわけじゃないんですね。「そばにいること」が一番大切……りんちゃんが自然にやっていたことが、現代看護の本質と重なるなんて感動します。
👘 第6章:「奥様ゴール」のすごろくが映す明治の女性観――看護師誕生の背景
「江戸娘一代双六」のゴールが「奥様」であることは、明治時代の女性に課せられた社会的役割を象徴しています。看護という職業がこの時代に生まれた背景には、女性の社会的地位と深い関わりがあります。
■ 明治時代の女性の立場
明治時代の日本では、女性の法的・社会的権利は著しく制限されていました。
- 明治民法(1898年)により女性は法的に「無能力者」に近い扱いを受けた
- 参政権なし・財産権の制限・離婚時の不平等など
- 「良妻賢母」が国家の求める女性像として推奨された
- 職業婦人はほとんど存在せず、女性の社会進出は例外的だった
■ なぜ看護だけが女性に開かれていたのか
こうした時代に、看護婦という職業は数少ない「女性が社会に出る正当な理由」として認められていました。その背景には:
- ナイチンゲールが確立した「看護は女性の天職」という社会的イメージ
- 「患者の世話は母性の延長」という当時の価値観との親和性
- 日清・日露戦争(1894年〜、1904年〜)による軍事医療の需要拡大
- 日本赤十字社(1877年設立)が看護婦養成を推進

皮肉なことに、女性が「お母さん的な役割の延長」として看護を押しつけられた面もあったんですよね。でも、それを逆手にとって社会に出た女性たちが、最終的に看護を本当の専門職へと育てていった。りんや直美のような女性たちが道を切り開いてきたんです。
■ 日本の看護師誕生年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1885年(明治18年) | 東京慈恵会医院が看護婦養成所設立(日本初) |
| 1886年(明治19年) | 有志共立東京病院看護婦教育所設立 |
| 1890年(明治23年) | 日本赤十字社が看護婦養成を本格開始 |
| 1899年(明治32年) | 「看護婦規則」制定——看護婦免許制度が初めて法制化 |
| 1915年(大正4年) | 「看護婦規則」改正——全国統一基準へ |
【考えてみよう】「奥様ゴール」から「専門職」へ
りんが双六のゴール「奥様」を目指さず、看護という道を選んだことは、明治の女性の常識からの逸脱でした。しかしその逸脱こそが、日本の看護の歴史を動かした。令和の今、看護師国家試験を目指す学生たちの一人ひとりが、この歴史の延長線上にいます。
❓ よくある質問(FAQ)――コレラ・感染症・看護について
Q1. コレラは現代の日本でもかかる可能性がありますか?
日本国内での感染者は非常にまれですが、輸入感染症として現在も報告されています。毎年数件〜十数件の輸入例が報告されており、海外(特にアジア・アフリカ・中南米)でコレラ流行地域への渡航時には注意が必要です。現在の日本では衛生環境・医療レベルが高いため、感染しても適切な治療で回復できます。
Q2. 「グリーフケア」は看護師だけがするものですか?
いいえ、グリーフケアはチームで行うものです。看護師のほか、医師・ソーシャルワーカー・臨床心理士・チャプレン(病院付き聖職者)・緩和ケアチームなどが連携して遺族を支援します。看護師は最も長く患者・家族に接するため、グリーフの初期サインに気づく役割が特に重要です。

「悲しんでいる家族になんて声をかければいいかわからない」という看護学生の声をよく聞きます。でも正直、正解の言葉なんてないんです。ただそこにいる、手を握る、一緒に泣く——それだけで十分なことが多いんですよ。
Q3. 明治時代のコレラはなぜあれほど致死率が高かったのですか?
主な理由は以下の4点です。
- 衛生環境の悪さ:上下水道が未整備で、コレラ菌に汚染された井戸水が広く使われていた
- 輸液技術がなかった:コレラの死因は脱水ですが、当時は静脈内輸液という技術が普及しておらず、水分補給が間に合わなかった
- 医学知識の不足:コレラ菌(Vibrio cholerae)が原因だと証明されたのは1883年(コッホ)。当時はまだ「悪い空気(瘴気)が原因」という説が残っていた
- 栄養状態の悪さ:明治初期の農村部では慢性的な栄養不足があり、免疫力が低かった
Q4. 避病院は現代でいうとどのような施設ですか?
現代の対応施設としては「感染症指定医療機関」が近い存在です。感染症法(1999年施行)に基づき、第1類感染症(エボラ出血熱・ペストなど)の患者は特定感染症指定医療機関(全国4か所)に入院します。ただし現代の隔離は人権に配慮した任意入院が基本で、患者の同意と権利が守られる点が明治時代の強制収容とは大きく異なります。
Q5. 看護師は患者の家族が泣いているときどうすればいいですか?
最も大切なのは「すぐに解決しようとしない」ことです。泣いている家族に対して「大丈夫ですよ」と急いで慰めるのは逆効果になることがあります。推奨される対応:
- そばに座り、静かに存在する
- 「つらいですね」「よく頑張ってこられましたね」と感情を受け止める言葉をかける
- 沈黙を恐れない(沈黙は「一緒にいる」というメッセージ)
- 必要なら専門家(臨床心理士・ソーシャルワーカー)につなぐ
- 自分の感情も大切に(二次的トラウマ・共感疲労に注意)

「沈黙を恐れない」……これ、すごく難しいですよね。何か言わなきゃと焦ってしまいそう。でも一緒にいるだけで伝わるものがあるんですね。
Q6. ドラマのモデル・りんの実在人物はどんな人ですか?
りんのモデルは大関和ちか(1858〜?)とされています。栃木県の旧家出身で、日本初のトレインドナース(正規の訓練を受けた看護師)の一人とされる実在の人物です。明治時代に専門的な看護教育を受け、近代日本の看護黎明期を支えました。一方、ダブルヒロイン・直美のモデルは鈴木雅(日本近代看護の先駆者の一人)とされています。
💌 しーちゃんからのメッセージ――第1話を見てくれたあなたへ

第1話「双六」、そして第1週「翼と刀」まで一緒に振り返ってくれてありがとう!
このドラマ、第1話からもう心をつかまれませんでしたか?りんちゃんのあの双六の場面……「奥様がゴール」という時代に生まれながら、それとは全然違う選択をしていく姿に、私は最初から惹きつけられました。

父・信右衛門のセリフ「学ぶことは翼となり刀になる」って、看護師として働いている今の私にも、すごく刺さる言葉なんですよね。勉強が苦しかった国試の時期も、「この知識がいつか患者さんを救う」と思えたから続けられた。知識は本当に、命を守る「刀」になるんだって、臨床に出てから改めて感じています。
コレラで父を失い、避病院に連れていかれる人々を目の当たりにして、りんが看護師を目指す原点が生まれる第1週。この「原体験」があるから、後の実習の壁も、縁談の葛藤も、全部意味を持ってくるんだと思います。

第2話以降もどんどん面白くなっていきますよ。りんと直美という全然違う境遇の二人が、どうやって同じ道にたどり着くのか——ぜひ一緒に追いかけていきましょう!最後まで読んでくれて、本当にありがとうございました😊
📝 この記事のまとめ
- 第1話「双六」は明治15年(1882年)の那須の農村が舞台。りんは「奥様ゴール」の双六で遊ぶ17歳
- コレラ(コロリ)は致死率7割と恐れられた感染症。原因菌は1883年にコッホが発見。治療の要は脱水補正
- 避病院は明治時代の強制隔離施設。現代は感染経路別予防策(接触・飛沫・空気)が基本
- 父の死と看取りのシーンからグリーフケアの本質(評価せず、そばにいる)を学べる
- 大山捨松は6歳でアメリカへ渡り看護を学んだ先駆者。りんの憧れであり、日本の近代看護の原点
- 看護婦という職業は明治時代、女性が社会に出る数少ない道のひとつだった。先人たちの努力が現代の専門職を作った
- りんのモデルは大関和ちか(日本初のトレインドナースの一人)、直美のモデルは鈴木雅
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